※この記事では、金山城跡の基本情報と新田神社の手前まで掲載。
それ以降の様子を見たい方は、後編へどうぞー。
※この記事は、2019年9月13日時点での情報になります。
目次 -mokuji-
「金山城跡」-kanayamajyoato-
住所:〒373-0027
群馬県太田市金山町40−106
駐車場:史跡金山城跡ガイダンス施設駐車場(無料)、東山公園駐車場(無料)、金山城址展望駐車場(無料)など
標高:239m(金山山頂)
三角点:なし
金山城跡は、太田市の金山町にある山城跡です。
本城(実城)のある金山山頂の標高は239mとそこまで高くはありませんが、展望もよくて凄く素敵な場所でした。
金山城跡の何が素敵かというとですね。
話すと長くなりますが、とにかく石垣ですよ!!
城の跡地を巡るのが結構好きなので、色々行ったことはあるんですがこんなに綺麗に復元されている場所を見れたのは初めてでした。
自分の背丈よりも高い石垣を間地かで見れるばかりか、当時のままで残された石の階段や水路跡などもあって終始テンション高めで巡りました。
金山城跡は、たまたまサイトで写真で見て、その美しい姿に一目ぼれしてしまって、どうしても一度行ってみたかった場所でした。
本当にどこへ行っても楽しくて仕方がなかったですw
思っていたよりも山の中を歩けることも多くて、登山も出来て一石二鳥。
凄く貴重なものを見れて、当時の人の目線でこの場を見れて楽しかった ♪
<参考>
◇金山城跡-太田市公式HP
住所:〒373-0027
群馬県太田市金山町40番30号
TEL:0276-25-1067
FAX:0276-25-2399
入館料:無料
開館時間:午前9時~午後5時まで
休館日:月曜日(月曜休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~翌年1月3日まで)
※入館は午後4時30分まで
金山城跡を巡るなら、初めに金山城跡ガイダンス施設に行くのがおすすめ!
この場所は、金山城跡に関する資料が展示されています。
金山城跡の模型や詳しい情報を色々知ることが出来て面白かったです。
模型を見てから実際の金山城跡を巡ってみると、模型で見たままの場所があったりするので「ここかー!!」って言いながら凄く楽しく見れました。
職員の方が作られたという甲冑などの展示もあったりして、本当に読みやすくわかりやすい説明が多かったです。
地図の描かれたパンフレットなどもこの場所で貰えるので、地図を獲得してから先に進むと歩くのも楽でしたー ♪
<参考>
◇史跡金山城跡ガイダンス施設-太田市公式HP
今回はパンフレットを2種類貰えたので少し紹介。
左のパンフレットでは、金山城跡内の地図だけではなくて周辺をハイキングするのに使えるルートとかがざっくり載ってます。
右の黒いパンフレットは、金山城跡内の地図や情報が載ってます。
金山城跡に着いた時(展望台の駐車場とか)に使うといい感じでしたー!
パンフレットは、太田市の公式HPでダウンロード可能です。
ハイキングガイドはちょっと古いタイプの物でしたが、一応参考に載せておきます↓
<参考>
◇金山城跡周辺地図のパンフレットダウンロード
◇金山ハイキングガイド(旧)ダウンロード
※リンクをクリックするとそのままダウンロードしてしまうこともありますので注意!
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地図看板は、色々な場所にありますが、一番おすすめなのは金山城跡ガイダンス施設内にある地図です。
施設の職員の方が道の説明をしてくれて、地図も頂けました!
凄く丁寧に教えて頂いてわかりやすかった。
①史跡金山城跡ガイダンス施設内
②金山城址展望駐車場の公衆トイレ
③南曲輪休憩所周辺に公衆トイレ
トイレは、こんな感じかな。
金山城跡ガイダンス施設の中のトイレと、ガイダンス施設から少し行った先にある金山城址展望駐車場の公衆トイレ。
後は、金山城跡の南曲輪休憩所の近くにもトイレがあります!
金山城跡ガイダンス施設の中のトイレは、めっちゃ綺麗ですw
①史跡金山城跡ガイダンス施設駐車場
②東山公園駐車場
③金龍寺南駐車場
④金山城址展望駐車場
駐車場は、こんな感じ↑
どの駐車場も無料で停められます。
金山城址展望駐車場に停めれば金山城跡まで近いですが…
個人的には、「史跡金山城跡ガイダンス施設駐車場」や「東山公園駐車場」に停めて、少し山道を歩きながら行くのが楽しかったです!!
金龍寺南駐車場から歩くのもありですが、ちょっとだけ遠いかもw
東山公園駐車場は、ここ↑
鳥居みたいなオブジェが立っているのでわかりやすい。
【バスの巡回ルート】
①太田駅北口(ロータリー西側) → ②大光院(大光院北の市営観光駐車場) → ③金山城跡ガイダンス施設(下り:施設南東の砂利駐車場) → ④金山モータープール
休日限定で「金山おもてなしバス」というワゴン車が巡回するようです。
2019年は、8月3日(土)〜10月22日(火)の期間の間だけとなってます。
無料で利用できるので、土・日・祝などの休日に行かれる場合には活用してみるのもいいかも。
太田市の公式HPに時刻表とかもありましたよー↓
<参考>
◇金山おもてなしバス-太田市公式HP
今回のルートはこんな感じ!
初めに金山城跡ガイダンス施設に行って、金山城に関する説明や模型を見た後に山道を通って金山城址展望駐車場まで歩いて向かいました。
意外と綺麗になっている道で、坂は多めでしたが登りやすかったです!
金山城址展望駐車場から金山城跡はすぐ近くなので、順番に掘りなどを見ながら歩きました。
説明の看板が所々にあるのですが、イラストや写真付きで凄く丁寧でわかりやすかったです!!
金山城跡を見た後は、近くにあった新田神社へ行って、そこから御城橋までまた山歩き。
御城橋に向かう道と東山公園駐車場へ向かうまでの道はひたすらに山の中です。
湿気が凄くて、キノコいっぱいでしたw
三角点がある場所とかもあったりして面白かった!!
東山公園駐車場に着いたら、車道と少し山道を進んで金山城跡ガイダンス施設へ戻りました。
YAMAPの軌跡は金山城跡ガイダンス施設までで、大光院へは車で向かったので軌跡はないです。
でも、すぐ近くなのでわかりやすい ♪
大光院も結構広くて、立派な大社だったので面白かった!!
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「金山城跡」とその周辺を実際に歩いた様子を、画像と共にまとめていきます!
行かれる時の参考や一緒に行った気分になって頂けたら嬉しいです。
いつもは1記事に全てまとめているのですが、今回は「前編」と「後編」に分けてレポート記事をまとめてます!
実は、帰ってから確認したらいつもの倍以上の写真を撮ってしまっていて…
自分で見返してビックリしてましたw
全部載せると長すぎてしまうので、このページでは「新田神社」に入る前まで掲載します。
新田神社の後に行く山歩きや大光院は、後編の方でまとめていますのでお時間あったらそちらも宜しくです。
簡単なレポートやルートの軌跡などは、YAMAPの方にまとめています。
良かったら参考にどうぞー↓
今回は、史跡金山城跡ガイダンス施設からのスタートです!
車を史跡金山城跡ガイダンス施設の駐車場に停めて出発。
ガイダンス施設の建物は、めっちゃオシャレ!!
一見すると、美術館と間違ってしまうような面白い模様です。
史跡金山城跡ガイダンス施設は、入館無料です。
受付に行くと簡単な説明をしてくれて、館内案内のパンフレットが貰えます。
史跡金山城跡ガイダンス施設の駐車場には、立派な梅の木。
苔がいっぱいです!!
万葉集には、ウメを題材にした歌も多いのだと看板に書いてありましたー。
昔の方が作られた歌は、何というか…面白いので好き。
カッコいい。
駐車場内にバス停と自販機、あずま屋みたいな休憩スペースもあります。
金山おもてなしバスは、現在は期間限定の休日限定です!(2019.9.13現在)
史跡金山城跡ガイダンス施設は、中もオシャレ!!
カッコいい…
この四角いパネル、よくよく近くで見てみると…
細かいひも状のものが集まっているみたいになってて面白いんですよ!!
さすがに触ってはないので、質感はわかんないけどw
史跡金山城跡ガイダンス施設の館内は、ガイダンスルームと呼ばれる金山城跡についての説明書きや展示などがしてある場所は撮影禁止です。
場所によっては撮っていい場所もあるとのことで、職員さんに聞きながら写真を撮らせて頂きましたー。
- 金山城跡関係の「建物の歴史」や「手描き地図」の展示部屋
- 金山城関係の情報や「出土品・模型」などの展示部屋
- 金山城跡の「大手虎口」や「物見台等の模型」展示(2階廊下)
- 職員作の「手作り甲冑」の展示(1階・2階廊下) など
史跡金山城跡ガイダンス施設内には、いくつか部屋があるんですが撮影禁止なので少しだけ雰囲気を文字で紹介。
主要な部屋は、2階にあって2~3部屋くらいです。
初めに行った部屋は、階段を上がってすぐ目の前に出てくる部屋。
この中には当時の絵描きさん?が描いたという地図や、金山城跡に係わる説明が細かく掲載されています。
長ったらしい説明ではなく、細かく分割されていて順番に見ていく感じなので凄く見やすくてわかりやすかった!!
そこまで広くない部屋なので人が多いと嫌ですが、のんびり読むのには凄く良かった ♪
2つ目の部屋は、階段を上がって左手に向かって真っすぐ進んだ斜め左くらいの場所です。
パンフレット置き場や受付を通過していく感じ。
この場所がかなり詳しい説明をしてくれている場所で、わりと広め。
職員さんが簡単に説明をしてくれて、5分程度の解説動画も見せてくれたりもしました。
動画が地味に実写が多くて、気合が入ってましたw
中の様子としては、壁に大きく説明書きがあって、出土品の食器や北条と上杉などが金山城で会合をしている様子を模型にしたものとかがあったりとかして結構面白かったです!
めっちゃ何か月も話し合いに集まってたらしい。
模型が結構よくできてて、説明もわかりやすくてすごく読みやすかったです!
個人的に一番面白かったのが、使い捨てだったという陶器のお皿。
現代でいうと紙皿みたいな感覚で使われたらしく、火を灯して明りにしたりするのにも使われたとか。
本当は、何かカタカナのカッコイイ名前があったんですが忘れちゃいましたw
ガイダンスルームをぐるーっと隅から隅まで読むだけでも、結構時間がかかりましたが…
じっくり見てから行ったおかげで、金山城跡が何倍も楽しかったです!!
【物見台・馬場下(ばばした)通路模型】
西城から実城へ尾根づたいに向かう中間地点、その場所に尾根上の守りの要所があります。
それが、物見台(ものみだい)・物見台下虎口周辺です。虎口へと続く通路は、攻めての兵が2列で進むのが難しいくらい道幅が狭く、石敷きの通路面はわざとゴツゴツさせて、走りにくくしています。
この通路へ攻め込む兵は、左手の曲輪や正面の櫓(やぐら)に居並ぶ城兵の攻撃にさらされながら進みます。通路は、矢倉前にある堀切の手前で鍵の手状に折れ曲がり、石敷き通路を突進してくる攻め手には、道が途切れているように見えます。
石敷き通路の先は、城門で塞がれているため、速度をゆるめざるをえません。
その時です!
上方の物見台とその周辺から矢玉が降り注いできます!引用:史跡金山城跡ガイダンス施設内「物見台・馬場下通路模型」の説明書きより
※読みやすくするために、文字を一部変更しています。
金山城跡の模型は2種類あって、一つ目が「物見台・馬場下通路模型」
“物見台(ものみだい)” と呼ばれる敵の動きを見張る場所や、”馬場下通路(ばばしたつうろ)” と呼ばれる道の先が行き止まりになっている通路などを見ることが出来ます!
通路の端の方から攻め込むみたいな目線で覗いて見るとこんな感じ↑
石垣に邪魔されて、奥の様子が簡単には見えない設計になっててスゴイんですよ!!
実際にこの場所に行っても、本当にこのままな感じで面白くて!
「ホントに何も見えないじゃん」って言いながら、実際の跡地が見るのがすごく楽しかったです。
【大手虎口模型】
大手虎口(おおてこぐち)周辺は、金山城の中枢を守る上で最後の防衛ラインの一つでした。
虎口は堅牢(けんろう)な城門で守られ、正面の実ならず左右の高い曲輪から矢玉が浴びせかけられます。仮に城門を打ち破ることができたとしても、その先の中央通路は、緩やかな曲線を描くため、見通しが利きません。
石敷き通路面は階段状に上り、中ほどでは通路幅が狭くつくられているために、実際の距離よりも遠くに感じるよう遠近法によるトリックが仕掛けられています。このような構造の中央通路では、通路中程で攻め込んできた敵の動きが滞ったところを左右から槍の攻撃に晒されたことでしょう!
この通路を突破することは不可能だったといえます。☆堅牢(けんろう)=モノのつくりが頑丈で丈夫なこと。
引用:史跡金山城跡ガイダンス施設内「大手虎口模型」の説明書きより
※読みやすくするために、文字を一部変更しています。
2つ目の模型は、「大手虎口模型」
大手虎口という場所は、実城(みじょう/本城と同義)に向かうのに使う通路です。
少し高い石垣と美しい石畳と水路が広がる石造りの素晴らしい建築物。
この場所だけでもかなりの広さがあり、実際に行ってみるとその造形美に圧倒されてしまいます!!
綺麗に積まれた石垣も素敵ですが、大雨などで石垣が崩れてしまわないようにと細かく設計されている感じが凄く面白いんです!
人が歩くくらいの目線で覗いて見ます…
こんな感じ!
今は門はないので多少見晴らしがいいですが、門があると全然見えないです。
スゴイ…
この模型、結構細かくて!
兵士がいたりとかもするんですよ。
色んな方向から覗くのが凄く面白かったので、行かれた際にはぜひぜひいっぱい覗いてみてくださいー。
模型前にはこんな感じで、看板があります。
見やすいんですよー。
ココで色々読んだり見たりしてから行くと、実際に見た時に凄く面白かったので興味がある方はぜひ説明書きも呼んでみてください!
史跡金山城跡ガイダンス施設内には、職員さん作の甲冑がいっぱいあるんですよ!!
これが、凄く綺麗で完成度高いんです。
この甲冑は、入ってすぐの場所にある受付前のものです。
写真撮影OKとのことだったので撮らせて頂きましたー。
この甲冑は、2Fにあるもの。
青系でまとめられていて、凄く綺麗です!!
個人的に一番好き ♪
近づいてみると、刺繍というか縫い目というか…
とにかく細かくて素敵なんです!
これが手作りだというのだから、本当に凄いです。
職員さんの技術力やばっ…
もちろん、お触り禁止なので、近づいて見るだけで我慢です。
でも、近くで見れるだけで幸せですよ、これ。
実際のものもこんな感じだったのかな。
汚れたりしたら、どうやって綺麗にするんだろう…
お手入れ方法が気になります!
2Fには、こんな感じでいっぱい並んでます。
これは青い甲冑の正面くらいにあります。
色とりどりの甲冑があって、鮮やかです!!
ガラス越しですが、よく見えて面白かった。
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なんだかんだで、わりとガイダンス施設で長居してしまいましたw
面白くて、つい。
金山城跡ガイダンス施設を一通り堪能したら、職員さんにガイドマップを貰ってからまずは「金山城址展望駐車場」へ向けて出発です!
金山城跡ガイダンス施設を出て、橋を渡って行きます。
橋を渡ったら、右の方にある階段っぽいところへ進みます。
階段はこんな感じね。
看板的には「モータープール・こどもの国」方面です!
ココでは見かけませんでしたが、スズメバチ注意の注意書きがいっぱいあった…
階段は、意外と坂です。
今回は山っぽい感じがあることをあんまり想像してなかったので、面白い!
しばらく歩くと壊れた看板のある分岐に出ます!
二手に分かれた方の右側の道を通っても行けますが…
地図的には、倒れた看板を正面にした時に右手に見える、この階段の道でも行けるようでした。
私たちはとりあえず、この階段の道を途中まで進んだんですが…
結局、途中で倒れた看板のところにまた戻ってきて、二手に分かれた方の右側の道で進むことにしましたー。
ちなみに、階段の道はめっちゃ急ですw
凄く疲れる。
歩きやすいけど急。
こんな感じでしたー。
倒れている看板に戻ってきて、よくよく見てみると文字が書いてありました。
でも、どの向きで建ってたのかわかんないので使えないw
倒れている看板を正面に見た時に、左手に見えるほうの分かれ道の右の道へ進みます。
そこまで広くはないですが、踏み固められた歩きやすい道が続きます!
途中で見つけた看板。
地図の看板かと思ったら、全然違うやつ。
木についてまとめてありましたー。
道なりにずーっと進んでいくと…
この辺りが少し石がゴロゴロしているのと、少し坂になってます。
途中で松の木を見つけました!!
マツボックリがいっぱいです。
この辺りは歩きやすい道。
綺麗です!
途中でキノコを発見!
金山城跡ガイダンス施設で聞いたのですが、この辺りは「アカマツ」というマツがあって昔は松茸が採れることで知られていたとか。
どれが松茸だかわかんないけど、今回の道中で色々なキノコを発見してますw
キノコを見ながら歩いていたら、広い場所に出ましたー!
休憩所とか看板とかある場所です。
進行方向としては、ココを登ったら右手へ行きます!
広めの休憩スペース。
綺麗め。
地図の看板。
ざっとハイキングコースが載っているので、確認するのに使えました!
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地図を確認して、一休みしたら先に進みます!
ベンチと階段のある方へ行く感じ。
途中でしめじみたいなキノコ発見です!!
群れてやがる。
集団生活するキノコというのもなかなかに可愛い…
しばらく、キノコを観察してましたw
キノコを過ぎて少し進むと、ちょっと足場の悪い場所。
崩れているので、通れるところを進みます!
足場のあるところを進んで少し行くと看板。
「モータープール・金山山頂」って方に行きます!
地味に坂ですが、危険な崖なども特になく歩きやすい道が続きます。
ここは少し広くて綺麗な場所。
ココを通って進んで…
開けたら右手を向くと、こんなの。
何かの山が見える!!
ココはほんのちょっとだけ狭いかも。
ずーっと進んでいくと大きな休憩所というか、見晴らし台みたいな場所に出ます!
看板に到着です!
ココで少し一休み。
休憩スペースはこんな感じ。
結構広くて、景色もよく見える素敵な場所です。
この休憩所の奥へは行けないのですが、横に道があります。
たぶんこの道が、金山城跡ガイダンス施設を出て少し行った場所で見つけた倒れた看板から急な階段を登ってくるルートだと思う…
めっちゃ急ですw
休憩所からの景色はこんな感じ。
ちょっと松の木が邪魔してるけど、よく見えます!!
映ってないけど、この右横に見える松の木の中にアカマツがあるんですよー。
アカマツはこの後も撮っているので、その時に紹介します。
休憩所の近くで、ヤバそうなキノコを発見しました。
1UPキノコみたい…
こんなに鮮やかなキノコ初めて見ましたw
作りものみたいに綺麗で面白かった。
休憩が終わったら、坂を登って行きます!!
ココを登りきったら「金山城址展望駐車場」です。
この階段が結構急で、めっちゃ疲れる…
涼しい日だったので風が涼しくて気持ちがいいんですが、それでも登りは汗だくですw
しばらく登ってから振り返って見る。
こんな感じ!
急っぽい感じ伝わるかな?
しばらく登ると、赤い四角い建物が見えてきます。
これが金山城址展望駐車場にある公衆トイレ。
あとちょっと!!
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金山城址展望駐車場に到着です!!
この場所には、地図の看板や公衆トイレなどがあります。
金山城跡へ最短で行くなら、金山城址展望駐車場に車を停めて見に行くといいのかもです。
金山城址展望駐車場にある公衆トイレには、外階段があって上が展望台っぽくなってます。
こんな感じ。
結構遠くまで、障害物がほとんどない感じで見渡せます。
さっき登ってきた階段とかも、この場所から見れるので面白いです!
トイレ上からの景色を見ながら休憩して、その後は金山城址展望駐車場にある看板を見に行きました。
これは、太田市観光のガイドマップの看板。
広い範囲の地図が載ってます。
こっちは少し古くて、あんまり読めませんでしたー。
古い看板を過ぎてまっすぐ進めば車道を行けますが…
私たちは車道ではない方から行きたいので、古い地図看板横にある階段を登って一段上に上がっていきます!
こんな感じの階段。
ちょっと狭くて急だけど、短いのですぐ着きます。
階段を上りきると看板があります。
この場所からこどもの国などへも行けるようで、案内看板がいくつもありました!
私たちが進む方はこっち。
まっすぐ進みます!
途中でアカマツを発見です!
道中でいくつも見かけたのですが、近くで撮れるものがなかったのでここで撮ってみました。
アカマツの周辺に他の松もあったので見比べていたのですが、アカマツというだけあって色合いが赤系によっている感じ。
上の方だけかと思ったんだけど、よく見たら全体的に赤みがかってて面白かったです!!
赤茶色に近いような、オレンジと赤の中間の部分くらいの位置の色を暗くした感じというか…
とにかく綺麗。
細身なのに背が高くて、とっても美人さんって感じでしたよー。
しばらく進むと、看板が出てきます。
金山城跡は「新田神社方面」なので、このまま前進です!
小さな看板を過ぎてすぐくらいに、前方が拓けます!
石碑の看板が見えた瞬間、地味にめっちゃテンション上がりましたw
左手には地図の看板。
この看板の内容は、金山城跡ガイダンス施設で貰える「史跡 金山城跡」という黒いパンフレット内にある内容と同じです。
金山城跡に行くルートは、左の道でもいいんですが…
やっぱり右の道を選んでしまいますw
山っぽいから!!
右のルートは階段などが続く道で、左手に大きめの石山っぽいところがあってカッコいいです!
ちょっとした森っぽい要素が大好きです!!
階段はこんな感じね。
木とかも結構立派で、細くて入り組んだ姿がカッコ良かったです。
このルートを通ると、景色も素敵。
少し進んで、左手を向くとこんな感じで拓けています!
私たちが行かなかった左の道のルートでも見えるんですが、こちらの方が一段高い位置なのでめっちゃよく見えます。
曇りだったけど涼しいのでよきですー。
「物見台」と書かれた看板を通り過ぎて進む。
金山城跡には、かなり丁寧な看板が多いんですが、この看板もよく見てみると現在地などがイラストで記されていて面白いんですよー。
ぜひぜひ、見てもらいたい!
【旧通路】
西矢倉台西堀切内の通路を隠すように盛られた、土塁状の高まりの下からは、通路の縁石(ふちいし)と思われる石列が見つかりました。
この石列により、西矢倉台西堀切内の通路よりも古い時期に桟道(かけはしみち)からまっすぐ西へ進む通路があったと考え、発掘調査によって通路を確認しました。この通路は、岩盤に丸太をかけて造られた桟道とは異なり、地山を削り出して通路を造っていたことがわかりました。
桟道は、急斜面で岩盤が張り出しているため岩盤を加工して通路を造り、岩盤の張り出していないこの部分では、地山を削り出して通路を造っています。
このように、当時の地形を利用して通路を造った様子がうかがえます。
引用:金山城跡「旧通路」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
金山城跡の主要な場所には、こんな感じの看板!
写真とイラストを使って丁寧に書かれているのが特徴です。
この看板もわかりやすくて凄く勉強になりました。
こんなに丁寧な看板が設置されたお城跡もあるのだなと思うと、何だか…すごく嬉しいです!!
確か、地味にこの辺りが「旧通路」と呼ばれる場所だったらしいのです。
削り出して作る通路…
桟道と呼ばれる桟橋のようなものもこの場所から見ることが出来ます。
この後に行く場所で、もっと近づいてみることが出来るので行った時に詳しく書きます!
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旧通路を過ぎて進むと、木製の端が見えてきます!
この場所が「西矢倉台西堀切(にしやぐらだいにしほりきり)」という場所です。
【西矢倉台西堀切】
西矢倉台西堀切は、西城から実城(みじょう/ 本丸と同義)までの間にある4つの堀切のうち、一番西寄りにある堀切です。
この堀切は他と異なり、堀底に石を敷いて通路として利用しており、通路の先は桟道(さんどう/急斜面に沿って掛けられる通路)へと続いています。また、通路の北側には柱穴(ちゅうけつ/柱を支えるために掘られた穴)があり、敵兵の北側からの侵入を防ぐための柵があったと考えられます。
堀切の西脇には、堀切を掘り下げる際に出た土や石を土塁状に盛り上げ、堀切内を敵兵から「隠す」ための工夫がなされていたようです。
また、この土塁じょうの高まりの下から通路の縁石(ふちいし)が見つかり、堀切内の通路よりも古い通路があったことがわかりました。古い時期には桟道から西へ通路が延びていたようです。
引用:金山城跡「西矢倉台西堀切」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
近くで見るとこんな感じ。
この木の橋の右横に堀切があって、奥まで歩いて行けます!!
こんな感じ!
少し坂になっているので、滑らないように行ってみます。
この場所を歩いて見ると、堀の深さがよくわかります。
でも、当時よりも深くないであろうこの場所を見て、実際はどんなだっただろうと想像すると少し怖くなります。
こんな場所を作ってしまう人がいたのだから、もっとそれはスゴイことです。
堀切をずっと進むと、一番奥の左手に桟道(かけはしみち)が見えてきます。
実際に歩くことはできませんが、こんなに間近で見れるだけでも感動です!!
復元されたものらしいので当時のものではないですが、それでもカッコいいです。
凸凹していて、歩くのは少し大変そう…
連絡用の道だったらしく、ヤバくなったら敵の進行を防ぐためにこの橋を壊してしまえるように簡単に作られていたらしいです!
【桟道】
通路が見つかった西矢倉台西堀切から城の中心部へと続く通路を確認するため、山の斜面を調査しました。
その結果、山側には丸太をうける跡が、谷側には16個の柱穴の跡が見つかりました。このことから、西矢倉台西堀切内のつうろから続く道は、急斜面に沿って丸太をかけて造られた「桟道(かけはしみち)」であったことがわかりました。
この桟道は、金山城の西を守る「西城(にしじょう)」と城の中心部の「実城(みじょう)」とを結ぶ連絡道の一部として造られたものであり、万一西城が敵に落とされたときには、この桟道を壊して敵の進行を防ごうとしたと考えられます。
そのため、当時の桟道は、非常に簡単に作られていたと思われます。
引用:金山城跡「桟道」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
桟道を見終わったら、来た道を少し戻ります。
帰りはこんな感じ!
こうして見ると、結構な坂なのがわかります。
行きよりも急な感じが伝わるといいな。
木の橋まで戻ったら、橋を渡ってすぐそばにある「西矢倉台下堀切」に向かいます!
ココが「西矢倉台下堀切」
この場所には、石が敷かれていないんですが、奥の先が見えないほど段差があるのがわかります。
実際には、この位置よりもさらに1.5mくらい下の深さの掘りだったそうです。
想像するだけでも、その深さにぞっとします。
【西矢倉台下堀切】
西矢倉台下堀切(にしやぐらだいしたほりきり)は、西矢倉台の西下に造られた防御施設で、西城から実城(みじょう/本丸と同義)へ向かう間の二番目の「堀切」となります。
この堀切は、大堀切・物見台下堀切と比べて規模は小さく、堀切は実城に近づくにつれ幅が広く、深く造られています。
断面の形は、上部が逆の「ハ」の字であるのに対して、下部は箱状に掘られ、簡単に攻め登られないように工夫されています。また、この堀切は西矢倉台西堀切通路として使われた跡はありません。
堀切北端を横断する通路は埋まってしまった堀切の上を整備した園路で、当時の通路ではありません。堀切は北までずっと続いており、今みなさんが立っている足元の約1.5m下が掘底(ほりぞこ)となっています。
引用:金山城跡「西矢倉台下堀切」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
西矢倉台下堀切堀切を見たら、道なりに進みます。
しばらく行くと、こんな感じの道が確か右側とかに出てきます。
こっちに行くと…
西矢倉台通路(にしやぐらだいつうろ)に到着です!!
石畳の広がる素敵な道。
ベンチとかもあって、奥にずーっと道が続いていきます。
この道沿いに進んでいくと、「物見台下堀切」や「物見台下虎口」に着きます!!
【西矢倉台通路】
西矢倉台通路の発掘調査では、新旧2時期の通路が発見されました。
この2つの通路は、外側(谷側)が旧時期、内側(山側)が新時期であると考えられます。2つの通路の間には、岩盤を加工した柱穴が並ぶように12個見つかっています。
また、この柱穴列は新時期の通路面の下からも確認されています。柱穴列の性格については、「通路脇の柵」あるいは新時期通路を安定させるための「土木工事」に伴う物と考えられます。
一般的に、通路を造り直す時は外側(谷側)に造り直すのですが、西矢倉台通路では、石垣の外側は急な斜面になってしまうため、より安定する内側(山側)に通路を造り直し、石垣も積み直しています。
引用:金山城跡「西矢倉台通路」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
旧道はどこにあるのだろうと探していたんですが、ここかなーって…
遠いのでよくわかんなかったですが、たぶんこの辺ですw
西矢倉台通路の看板を見て周囲を少し見渡したら、石畳に沿って進んでいきます!!
金山城跡ガイダンス施設で模型を見てから、地味にここに来るのが凄く楽しみでした。
金山城跡ガイダンス施設にあった模型の説明書きにも書かれていた「走りづらい設計」にした石畳。
実際に走ってみましたが、凸凹が絶妙で確かに走りづらかったです!!
私たちはトレッキングシューズを履いていたので歩きやすい方ですが、これを昔の方がほぼ素足と変わらないような薄さの履物で駆け抜けたのかと思うと凄すぎて…
何とも言えない。
石畳をもっと見たくて、近くで観察。
登山で岩山に行った時とは違い、凸凹ながらも規則性がある感じに並んでいる姿はとても美しいです!
足がいい感じにとられそうな隙間が多くて、岩も丸いという鳥は尖っているような角ばっているものが多い印象でした。
面白い ♪
ついに、金山城跡ガイダンス施設に展示されていた模型で見た「物見台下虎口」に来ました!!
ヤバい…
想像してたより、めっちゃカッコいい。
【物見台下虎口】
物見台下土橋から竪堀(たてぼり)までの間には石敷きの通路が発見されました。
この通路は防御上、土橋から見通せないように曲がった通路となっています。通路は、竪堀にかかる木橋方向と、堀底へ下りる階段へ分岐しています。
石敷き通路の南側には、谷側からの敵に備えて通路を隠すと共に、敵を威圧するための土塁石垣が通路に沿って約22m設けられていました。
なお、土塁石垣の中央部は、石垣の崩れた状態で整備しています。
引用:金山城跡「馬場下通路」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
看板は「馬場下通路」という表記でしたが…
「物見台下虎口」周辺にあったことと、記載の内容から物見台下虎口の説明かなと思ったので、このサイトでは「物見台下虎口」の看板として紹介させて頂きます!
物見台下虎口前を歩いていると、物見台がこの場所からも見えます。
この場所を歩いていたら物見台から丸見えってことですね!!
おぉぉぉぉ!
物見台がある場所の岩もとても素敵な質感で、ゴツゴツしている感じが好みでした。
物見台下虎口に向かって歩いているところ。
地面はやっぱり凹凸のある石畳で、さっき通ってきた場所よりもさらに歩きづらさを重視して作っているように見えました。
この場所を歩いている時に左右に見えるのが「物見台下堀切」
わりと深いです!
待ちに待った石垣観察タイム!
やっと間近で見れて感動です。
石垣はとても綺麗に作られています。
一つ一つの岩の大きさも形も違うのに、綺麗に組み上げられている姿は本当に素敵で芸術です。
私も遊びで石を積んでみたことあるんですが、1個1個が尋常じゃないほど重いし綺麗に組み上げるのなんてもっと大変でした…
崩れないように積むばかりか、こんなに美しい外観に仕上がるなんて惚れ惚れします!!
金山城跡ガイダンス施設で学んだ「アゴ止め石」という部分っぽいところを発見しました!
確かに形状の違う石が一番下にあります。
石垣の積み方も色々あるのだなと今回は本当に勉強になりました。
以前より見るのが、より楽しくなってしまった ♪
物見台下虎口を少し通過しているところです。
ここまで来て、やっと奥が少しだけ見えています。
大きさ比較に撮ってもらいました!
私の身長が156~157cmくらいなんですが、それよりもう少し高い感じです。
たぶん、石1個分とかくらい高かったかな…
昔の人は小さかったそうですから、きっと私よりもっと見上げてしまいますね。
自分の身長より高い場所に重い石を運ぶのは大変だっただろうなぁ。
物見台下虎口を通り過ぎて少し行くと…
木橋が出てきます!
一段高くなってます。
横から見ても見事なものです!!
下を支えている柱とかも太くて立派。
こんな感じに土台を作って橋を架けるんですね。
カッコいいです!!
端から奥の方を見るとこんな感じ。
この先には、行き止まりとなる「馬場下通路」があります。
面白いもので、ココから見ただけだと奥が見えないように設計されています。
見通しが良くないように色々工夫されていて凄く面白いです!
木橋横はこんな感じ。
竪堀になっていて、石垣が段々になって連なっています。
現在は綺麗には残ってないですが、堀底通路というものもあったようです。
写真ではわかりにくいですが、ココ結構深いんですよー。
こんな感じ。
緩やかな滑り台みたいですねw
木橋を渡りきったところです。
ここまで来ると、奥には階段が見えますね。
ジグザグに作られた道、ホント綺麗で素敵です!
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馬場下通路までやってきました!!
順路的には、この石階段を登って次の場所に向かいます。
この辺りには、建物があった形跡を短めの支柱で囲って展示されています。
せっかくなので建物の跡地を見て回ってみます。
【馬場下通路】
木橋の東側では、石敷き通路が岩盤斜面を登って物見台から馬場曲輪へ通じる通路へと合流します。
また、この通路は東端で行き止まりになっており、通路に面して建物の礎石や岩盤をくり貫いた柱穴が発見され、この狭い通路沿いに2棟の建物が存在していたことがわかりました。
いずれも建て替えが行われており、最終時期の建物位置を表示しています。
この馬場下通路には、図に示したように敵兵への防御と攻撃のための工夫が各所に見られます。
引用:金山城跡「馬場下通路」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
ココが建物の跡地。
2棟立っていたうちの一つです!
土台の礎石は、当時の物らしい…
スゴイ。
【礎石建物址】
岩盤斜面際の礎石石列は、発掘調査で確認された実物です。
(柱間の木材は、補強のため整備上取り付けたもの。)引用:金山城跡「礎石建物址」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
1個目の建物を過ぎて行くと、奥にもう1つ建物跡があります。
ココは少し日陰で、近くの岩壁はとても綺麗で立派です!!
【掘立建物址】
岩盤をくり貫いて柱も建てた簡易な建物址です。
引用:金山城跡「掘立建物址」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
建物裏の岩壁はこんな感じ。
綺麗に角の取れた面白い質感の岩でした!
湿度が高いからか、苔もあり綺麗です。
建物跡を見終わった後は、近くの石階段を登って「物見台」へ向かいます。
階段を登ったら左へ行く感じ。
物見台のある場所は広々としてます!
この一番奥に、物見台があるので行ってみます。
【馬場下通路・石塁】
物見台から東の北側斜面際では、物見台基壇と一体となって造られた、幅約1.2mの石塁(せきるい)が約72mの長さで発見されました。
この石塁は、北の長手口からの攻撃に備える防衛上の効果があったと考えられます。
さらに、長手口から、北側の岩盤を険しく見せるための視覚的効果を意識して、この石塁の上に築地塀(ついじべい)が造られていたと考えられます。しかし、調査では上部の崩落が著しく、塀の痕跡は発見されませんでした。
物見台から東の南側斜面際では、石敷きされた通路が発見されました。
この通路は、物見台と東側に位置する馬場曲輪を結ぶと共に、途中で南下にある馬場下通路へと分岐しています。引用:金山城跡「馬場下通路・石塁」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
物見台に着きましたー!
石垣が少し残っているところが素敵です。
せっかくなので上まで行ってみます。
【物見台】
物見台(ものみだい)の基壇は、自然の地形に沿って等脚台形に造られており、基壇中央から物見矢倉と考えられる柱穴が4本発見されています。
また、物見台基壇からは、釘や火縄銃の弾丸が出土しています。
この物見台からは、金山城の周囲がよく見渡せるため、敵(上杉謙信:天正2年)は、物見台から死角となる藤阿久へ陣を構えました。引用:金山城跡「物見台」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
物見台に上がって、物見台下虎口や物見台下堀切の部分を覗いて見ました。
めっちゃよく見えます!!
物見台の上からの景色も最高です!!
めっちゃ綺麗に遠くまで見渡せました。
これから歩いて行く方は、あっち。
物見台から下りて、馬場曲輪の方へ向かってみます。
登る時は注意しながら登ってみてください!!
物見台から降りて、すぐ近くくらいのところに三角点っぽいものを発見しました!!
こんな所で出会えるとは…
見つけたらタッチする!!
あると思ってなかったので、ビックリしましたw
物見台から降りて、まっすぐ進んでいくと看板があります。
看板を過ぎてさらにまっすぐ。
石畳を通りながら、奥に見える馬場曲輪にめっちゃテンション上がってます。
石畳はこんな感じ。
物見台下虎口周辺の石畳よりも、綺麗に並んでいるような気がします!
歩きやすい。
馬場曲輪に到着しました!!
馬場下通路と同じように、建物跡がいくつもあるのが特徴的な場所です。
周囲をぐるっと囲んている柵とかも、復元したのだとか。
柵のおかげで良い雰囲気が出ていて凄く好き!
【馬場曲輪】
物見台から、東に向かう通路は、北斜面際の石敷通路を経て、馬場曲輪(ばばくるわ)へと至ります。
馬場曲輪の調査では、岩盤をくり貫いた柱穴が240個以上見つかり、位置関係から建物や柵列があったことがわかりました。また、建物は少なくとも5回の建て替え、曲輪の生活面は3回の造成があり、頻繁に造り替えを行っていたことも明らかになりました。
廃城時期の馬場曲輪における、建物3棟のうち両側の2棟は平面表示としました。
また、中央の1棟は柱穴の位置を利用して、新たに四阿(あずまや)を建てました。そのほか、曲輪中央部分に石組み排水路、曲輪全体を囲む柵列の存在も明らかとなり、あわせて整備しました。
引用:金山城跡「馬場曲輪」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
馬場曲輪から「大堀切(おおほりきり)」を見ることも出来ます!
看板も馬場曲輪の奥の方にあるんですよー。
この写真は、馬場曲輪下にある月ノ池周辺から撮ったものです。
深さがわかりやすいかなと。
金山城にとって主要な防衛拠点の大手虎口に近い為、「長さ約46m、掘り幅約15m、深さ約15m」というかなりの規模を持った掘りだったそうですよ ♪
馬場曲輪から大堀切を見ると、こんな感じ。
ちょっと高さがわかりにくい…
【大堀切】
敵兵が尾根づたいに進攻してくるのを防ぐために造られた堀切は、山城にとって一般的な防御施設です。
特にこの大きな大堀切は、金山城の中でも最も主要な防御拠点である大手虎口の目前にあるため、長さ約46m、掘り幅約15m、深さ約15mと大規模に造られています。
発掘調査の結果、この大堀切は尾根を形成している岩盤を深く掘り下げ、堀底は平らに削られていることがわかりました。
また、堀底には長さ約7m、高さ約1.5m、幅約1.8mの石積みでできた畝上の防御施設が1か所見つかりました。
堀底が平らになっていることで、敵兵の侵入経路にならぬよう、障害物として造られたものであると考えられます。引用:金山城跡「大堀切」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
馬場曲輪・大堀切を見終わったら、旗の横にある道を通って下に下りて行きます。
もうすぐ今回の大本命だった「大手虎口」に着きます。
めっちゃ楽しみ!!
馬場曲輪から下りる道は石段になってます。
横に石垣もあるので、見ながら下りれるのが凄く楽しかった!!
この通路には、馬場曲輪から繋がっている水路跡もあったりします。
こんな感じの。
そこまで深くないですが、綺麗に水路の形に整列した石は何とも美しいです!!
落ち葉が溜まっちゃっているのとかも好き。
馬場曲輪の石垣に繋がっている水路の出入り口の部分がココ。
あぁ、もう素敵です!!
いいわぁ…
水路をひたすら眺め終わったら…
こんな感じで馬場曲輪から降りてきました。
こうして見るとかなり綺麗な石階段なんですよー。
立派です!
階段を下りきったら、左奥に見える大手虎口に向かって進みます
すでにカッコイイ姿が…
この時点で走り出していきたいくらいの気持ちでした。
だって、めっちゃ石垣凄いんですよ!?
ヤバい…
さっきまでいた馬場曲輪の土台の石垣部分。
葉であんまり見えませんが、大きさの違う石が綺麗に積み上げられている様子がわかります。
あぁ、もう美しいです!!
昔の人ってめっちゃパズルとか得意そうですよね。
さささーって解いてしまいそうですw
「月ノ池」までやってきました!
金山城跡には池がいくつかあって、月ノ池はそのうちの一つです。
【月ノ池】
発掘調査前の月ノ池(つきのいけ)は、汚泥が堆積する窪地上の池でしたが、調査の結果、月ノ池も日ノ池と同様に上下二段の石垣で囲まれた戦国時代の池だったことが明らかになりました。
下段の石垣は石敷き平坦面から約2m下に積まれており、その内側からは、加工された建築部材や石垣の石が大量に投げ込まれた状況が見つかりました。
なお、この石垣については、最上部以外、戦国時代の石垣をそのまま残して整備しました。
月ノ池の底は、粘土層になっており、谷斜面から表流水や浸透水が溜まるようになっていたことがわかりました。
また、月ノ池は、池の石垣が一段しかなかった時期があったこともわかりました。月ノ池は谷地形を利用して造られているため、一段の石垣だけでは集中豪雨時に水があるれたと考えられます。
そのため、水があふれないように、且つ水をより多く蓄えられるように、池の中心を東に移動させ上下二段の石垣に改良したものと考えられます。引用:金山城跡「月ノ池」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
月ノ池は、周りや池の中も「石」で出来ているのがとても綺麗でした!
集中豪雨でも水があふれないように、試行錯誤と改良をされて完成された池。
カッコいいです。
こんなに綺麗に石で囲まれて、ましてや2段に構造になっているものを見たことがなかったので本当に素敵です。
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月ノ池を見終わって…
ついにやってきました「大手虎口」!!
この位置から見ても、もう既に感動です。
なんて美しい石造り。
カッコいい。
【大手虎口】
虎口(こぐち)は、城や城内の各曲輪(くるわ)への出入口部を指し、「小口」とも書かれます。
敵の侵攻から城を守る重要な場所であり、門・柵・塀・土塁(どるい)・石垣などで厳重に守られています。また、一方、虎口の「構え」は「格の高さ」を示す空間ともなっています。
金山城跡にも数多くの虎口がありますが、なかでもこの大手虎口は、一大防御拠点として、また「城の格」を示す象徴的な場所として、最も重要な虎口と言えます。
大手虎口は谷地形を利用して築かれ、月ノ池脇から正面土塁までの大規模な「構え」となっていました。
月ノ池脇の門から続く緩やかに曲げた「大手通路」、それを守るため見下ろすように両側に配した「壇状の曲輪」とそこを守り場とした「兵達の各種建物」、大手通路の行く手をふさぐように築かれた「正面土塁」、横矢を射るために築かれた「壇状の土塁」などがありました。
このような大規模で複雑な虎口の構造は、全国的にも特徴的であり、「難攻不落(なんこうふらく)」を誇った金山城を象徴する場所の一つと言えましょう。
また、通路脇や曲輪内を走る石組み水路は、城の維持のために効果的に排水を行う往時の工夫であったと考えられます。
引用:金山城跡「大手虎口」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
大手虎口は、かなり色々な工夫がされていた場所だったようで、見た目的な造形美も素晴らしいです!
大手虎口内には、排水用の水路もたくさんあって、大雨などがあった場合に石垣が崩れないように工夫がされていたのだとか。
この綺麗な石造りの場所を造るだけでも凄いことですが、災害時に壊れないようにとされた工夫や敵の侵攻を防ぐための工夫。
何重にも施されて考えられた構造が、凄く素敵でした!!
昔の人が実際に通った感じの目線を感じたかったので、この辺りはこんな感じで撮ってます。
水路大好き…
この狭さといい、石造りといい。
美しいです!!
大手虎口を入って少し進んで、左側に出てきた石段を登って「大手虎口北下段曲輪」を見に行ってみます!
この石段は、当時のまま保存されている場所。
石が少し欠けていたりしてめっちゃカッコイイ!!
しかも、当時のままの石段とか…
最高かよ。
階段の幅は狭いので登りやすいものではないですが、登りづらい感じがより昔の石段感があって個人的に凄く好きです!
階段全体の幅はそこまで狭くないんですよー。
【石階段】
調査で発見された階段を当時のまま残しました。
引用:金山城跡「石階段」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
石階段を登って行くと「大手虎口北下段曲輪(おおてこぐちきたげだんくるわ)」に到着です!
かなり広々とした空間で、所々段になっている石垣や傾斜になっている斜面を見ることが出来ます。
建物が立っていて様な、少し一段低くなっている場所などもあります。
赤い旗が立っている感じも好き!
石階段近くには、水路の跡もありました。
階段下の道に落ちるように水路が引かれてます!
この水路も雨対策のもので、雨が降った時に雨水が上手く排水されるように工夫されているそうです。
向かい側を見るとこんな感じ。
建物や井戸がよく見えましたー。
【大手虎口北下段曲輪】
大手虎口は、水が集まりやすい谷に立地しています。
従って、わずかな降雨でもすぐに水が集まり、それが圧力となって、石垣などの城の施設を崩してしまう危険性があったと考えられます。大手虎口の曲輪や斜面で見つかった石組み排水路や溝は、こうした水害の元となる水を城の外部へ流すための施設でした。
また、大手虎口北下段曲輪には、石組み排水路や溝だけではなく、曲輪面に段差および中央通路方向への傾斜が見られ、曲輪面がぬからない工夫がなされています。
このように大手虎口では、谷地形を利用した効率的な排水施設を見ることが出来ます。
引用:金山城跡「大手虎口北下段曲輪」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
大手虎口北下段曲輪を見終わったら、石階段を下りて左に向かっていきます。
途中で、右手にある大手虎口南上段曲輪の石垣に排水路っぽい穴を見つけました!
ちょっと遠いので、あんまりアップにはできなかったけど…
石垣を眺めつつ、「大手虎口南上段曲輪」に向かっていきます。
少し階段を登って、右手に進んだら「大手虎口南上段曲輪」に到着です!
この場所には建物や井戸、復元されたかまどなどを見ることが出来るんですよー。
ちなみにこんな感じの道を通って、大手虎口南上段曲輪まで来ました。
正面に見える道の方へ行くと、「土塁石垣」に行くことが出います。
後で行くので、まずは大手虎口南上段曲輪を見ていきます。
【大手虎口南上段曲輪】
大手虎口南上段曲輪からは、石敷きされた建物の基礎やカマド、井戸址が見つかりました。
大手虎口を守った兵たちの生活のにおいが感じられる曲輪です。建物は、基礎が石敷きされており、この石敷き基礎には、幅約25~30cmの溝が基盤の目のように見られました。
これは、建物の柱や床板を支えるための「大曳き(おおびき)」や「根太木」などを置く溝で、建物の基礎が石敷きされているのは、湿気を防ぐためだったと考えられます。建物の東脇からはカマドが見つかり、建物から火気を遠ざけていたと思われます。
このことから、建物は火薬などを備蓄した「武器庫」を兼ねた「兵の詰め所」だったと考えられます。整備では、石敷きされた基礎の一部が見学できるように、「遺構展示施設」として建物を造りました。
井戸址には、一辺約1.5m、深さ約3mで石組みがされていました。
石組みの下部には、マツ材でできた井戸枠がそのまま残っています。また、大手虎口南上段曲輪の石敷き建物址の西脇には、古い時期に通路であったこともわかりました。
この古い時期の通路は、スロープ状に来たから南へ上がっていました。しかし、最終的に埋め戻され、通路開口部は石垣によって塞がれていました。
引用:金山城跡「大手虎口南上段曲輪」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
大手虎口南上段曲輪に入ってすぐ見えるのは、大きな井戸。
井戸というと蓋がされて中が見えないものがほとんどですが、この井戸は中の石造りも綺麗に見ることが出来ます!!
ただ、本当に蓋がないので、ものを落とさないか心配になる…
スマホをめっちゃ握りしめてましたw
暗いので、一番下にあるらしい木枠というのは見えなくて残念でしたが石造りが見れただけでも満足です!!
少し水もあったりして、本当に面白かったー。
【井戸跡】
小口曲輪で生活していた武士達が使用していた井戸と思われます。
井戸底に補強のための木枠が残っています。引用:金山城跡「井戸跡」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
井戸を過ぎて奥までやってくると、看板に書いてあった「兵士たち詰め所」だったのではないかと言われていた場所の復元された建物に着きます。
建物の外にカマドがあった状況から “武器庫的な役割もあったのではないか” と云われてるみたいですよ。
現在では、「遺構展示施設」となっていて写真の展示や石敷きの基礎を見ることが出来るようになっています。
特にカギなどはかかってなくて、中にスリッパなどもあったので入っていいのかもしれないのですが、ちょっと怪しかったので私たちは入ってないです。
建物の左横はこんな感じ!
たぶん、ココが昔に通路があって埋め立てられた場所だと思うんですが、よくわからなかったです。
兵の詰め所の横には小さめの建物。
ココにカマドがあります!
建物と建物の間を通って、かまどに向かう瞬間が個人的にとても楽しかった。
屋根の下を通れるんですよ。
素敵だった!!
これが復元されたカマド。
粘土か何かで作ったような感じの見た目をしてます。
丸くてちょっと可愛いですね。
下に薪を入れるのはわかるんですが、これでどんな風に調理をしていたのかわからなくて凄く気になります!
カマドの上には穴が空いていたので、もしかしたらコンロみたいな感じでも使えるのかもです。
なんか面白い…
【カマド跡】
敵の侵攻に備える武士達が使用したカマドです。
昔は建物の外にカマドを設けたことがありました。引用:金山城跡「カマド跡」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
建物を一通り見たら、壁沿いに通路に戻って進んでいきます。
階段を登って右に行けば「南曲輪休憩所」があって、トイレとか自販機とかがあります。
私たちは、先に「日ノ池」に行きたいので、階段を登って斜め左くらいのところに行きます。
全く関係ないけど、この石の壁がね…
カッコいいんですよ!!
見て、この絶妙なゴツゴツ具合。
ちょっと角が取れている感じがあってね。
それがまたいいんですよ。
自然のままで使えるところはそのまま残して、使えないところは削って石垣を造ってって感じにしたのかなって思いながら眺めてましたー。
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これが「日ノ池(ひのいけ)」
月ノ池に似ていますが、こちらの方が敷地的にもかなり大きいです!
月ノ池と同じように全面石造りの二段構造。
池の中まで石造りで、もう大好きです!
さらに、この場所には井戸跡が2か所もあるんです。
井戸の近くに日ノ池へ通じる通路があった形跡もあったみたいですよー。
金山城が築城される前から神聖な場所として有名だったらしい。
おぉー。パワースポットってやつだ!
個人的に水の信仰と関わる平安時代の遺物ってやつを見てみたかったです。
どんなのか気になる…
本当はもっと近づいて見てみたいし、井戸とか隠し通路とか見つけて見たかったけど行けないのでここからで我慢です!
【日ノ池】
日ノ池は、15m×16.5mのほぼ円形の池です。
発掘調査によって、石垣や石敷、2か所の石組み井戸、石階段などが発見されました。さらに石敷きの下からは、日ノ池に通じる「通路跡」や「改修工事が行われた跡」が発見され、谷をせき止めて斜面から “流水や湧き水を貯める構造” になっていることもわかりました。
これらの調査の結果をもとに、往時の姿を可能な限り再現しています。
石垣や石敷きはできる限り当時のままで残しました。日ノ池は、山の上では稀な大地であり、金山城における象徴的な場所の一つです。
ここは、単に生活用水を確保した場所ではなく、戦勝や雨乞(あまごい)などの祈願を行った儀式の場所であったと考えられています。また、水の信仰と関わる平安時代の遺物も発見されており、日ノ池が立地する場所は、築城以前から神聖な場所であったようです。
引用:金山城跡「日ノ池」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
日ノ池を見たら、日ノ池を通り過ぎていくと…
左の方に道が出てくるのでここに入って行きます。
この道は、大手虎口南上段曲輪などの道に繋がってます。
土塁石垣跡に来ました!!
土塁というと土手のようなものを「土」で作るタイプが多かったらしいのですが、金山城は「石垣」で造られていたそうです。
雨対策をしている部分が多かったから、たぶん雨による水害対策として石垣にしたのかもですね。
やっぱり土だと崩れますもんね。
しかも、何度も作り直して試行錯誤した様子があったようで、作り直した様子がわかるように、あえて完璧に復元しないままで残されているのだと看板に書いてありました!
物見台下虎口でも見た「アゴ止め石」を使った技法が使われた時もあったようです。
一番下の石を、他の石よりもちょっとせり出した感じに置いてみるみたいな感じのやつです。
何度も作る直さなければならないほど、雨などによって崩れないように工夫する必要があったんですね…
工夫しなければならないところが多い程、当時の人の工夫が見れて好きです!
自分だったら思いついたかなって想像して無理かもなって思うと、より一層尊敬してしまいます。
スゴイです。
【土塁石垣】
関東地方の中世戦国期城郭では、土手のように土で築く土塁がほとんどですが、金山城の土塁は「石垣」で造られているのが特徴です。
三ノ丸から壇状に伸びた土塁石垣は、大手通路までせまり、その裏側に北側へ折れ曲がった通路を形作っています。(北通路)
この土塁石垣では、調査の結果、5回に渡る改修の跡が見つかったため、石垣の一部は6回の構造の変遷(へんせん)を示す遺構としてそのままの姿で残しました。なぜ、これほど頻繁に改修が行われたかについては、解明されていないこともありますが、周りから流れ込む雨水や浸透水、石積みの技術的な問題が考えられます。
改修が行われる度に、「通路幅」や「石材の大きさ」「土塁石垣の幅を変える」などの工夫をしていましたが、3度目の改修の時には石垣の足元の石を石垣面より少し前面に出して据える技法(この石を「アゴ止め石」という)で崩落を防ごうとしていたことが確認されました。
同じく、南通路の虎口でも2回の改修が行われ、位置を変えた水路跡や通路面が発見されました。
引用:金山城跡「土塁石垣」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
土塁石垣を見たら、少し日ノ池の方へ戻ります。
戻る途中で前方を見たら、石碑と謎の建物があったので少し見てました。
何だかは、ちょっとわからなかったど。
中に何かあるみたいに見えましたー。
この後は、日ノ池前を通って「南曲輪休憩所」に向かいます。
大手虎口南上段曲輪よりさらに上にある「南曲輪休憩所」に着きました!
この建物の中は、自販機と休憩スペース・スタンプなどが設置されています。
南曲輪休憩所の奥にあるのがトイレ。
トイレに行くまでの道に、地形図みたいなのとかが色々あります。
【史跡金山城跡】
今に残る金山城跡は、岩松(新田)家純(いえずみ)が文明元年(1469年)に築城したものが基礎となっています。
その後、下剋上によって実質的な城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となりました。上杉氏・武田氏・小田原北条氏・佐竹氏など戦国時代の雄に取り囲まれた中、その戦略によく耐え抜いてきましたが、天正12年(1584年)小田原北条氏に捕らわれの身となった「城主 由良国繁(ゆらくにしげ)」とその弟「長尾顕長(ながおあさなが/館林城城主)」の帰還を条件に開城し、小田原北条氏の家臣が城番として配置されました。
天正18年(1550年)、小田原北条氏の滅亡と共に廃城となりました。
江戸時代には金山「御林」として徳川幕府の直轄地(ちょっかつち)となり、現在に良好な城跡遺構を遺す結果となっています。
昭和9年(1934年)には、歴史的価値の高さと遺構の残存状態が良好なことから、県内で初めて城跡として「史跡」の指定を受けました。
廃城から約400年を経過し、以降の多くが樹木や竹・下草で覆われ、城の面影は失われてしまいましたが、調査の結果、大規模かつ複雑な虎口の形態を持っていたことや、さらに「曲輪斜面の石垣」「石敷通路」や「土塁石垣」など、随所に石を多用している山城であったことが明らかとなってきました。
往時(中世末)における関東の山城としては、極めて珍しい「石垣の城」という様相が明らかとなりつつあります。
太田市では、この重要な文化遺産を護り、難攻不落の堅固な金山城の姿を可能な限り再現し、市民の「憩いの場」「歴史学習の場」として広く活用されることを願っております。
引用:金山城跡「史跡金山城跡」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
金山城に関する歴史などの書かれた看板です!
この時代としては珍しかった「石を造りの山城」として知られているらしい。
最終的に徳川幕府が直接治めるくらいの場所になったらしく、そのおかげで城跡がとても綺麗に残っていたのだそうです。
「金山城跡の地形模型」
立体的になっていてわかりやすいです!
これは、金山城跡の「縄張」の復元図。
縄張(なわばり)というのは、建物の敷地の広さを示す言葉です!
つまりは、「ここからここまでが俺の土地だから!」ってことかな。
南曲輪休憩所周辺の看板とか地形の模型があるところから、大手虎口南上段曲輪を見てみました!
屋根に石がのってるの、今知りましたw
面白い ♪
井戸跡と土塁石垣とかの方はこんな感じ。
上からだと、また違った感じに見えて凄く面白かった!!
南曲輪休憩所の裏手の方から街の方が見えました!
遠くまで見えます。
看板もあった!
南曲輪休憩所で休憩したら、像を過ぎた先にある階段を登って「万葉歌碑」へ向かいます!
階段を上りきって、左の方へ向かうと「万葉歌碑」があります。
文字は読めませんが横にある紙に書いてあったので読んでみました!
【石碑文】
登古半仁 母可茂
志良登保布
織尓意多屋ま乃
毛流やま野
有羅閑禰せな那
_________________【万葉集】
志良登保布(しらとほふ)
乎繭比多夜麻乃(おにいたやまの)
毛流夜麻能(もるやまの)
宇良賀礼勢奈那(うらがれせなな)
登許波繭毛我母(とこはにもがも)– 巻十四 束歌 三四三六 –
_________________
【大意】
人に立ち入らせずに保護している小新田山の木々の葉のように、末枯れすることなく、いつまでも水々しく元気でいたいものだ。
– 岩波書店刊 日本古典文学大系「万葉集」による –
引用:金山城跡「万葉歌碑」看板より
※読みやすくする為に、文字を一部変更しています!
歌碑に書かれているものと、万葉集に掲載されているもので文字がいくつか変わっているのだと知って面白かったです!
昔の方が詠んだ歌を見ていると、詠んだ人を想像できるから好きです。
その時のその人を囲んでいた状況とか、心情とか…
知っていくとその歌を詠むに至るまでの人物像が見えてきたりするので、凄く楽しいんです!!
私は古典が大好きだったのですが、残念なことに内容はほとんど覚えてなくて…
ただ、文字列を見ているのが好きで歌や詩の感じが好きで。
まるで物語を読んでいるような気持ちになる感じがとても好きなんです。
今回歌碑を改めてみていて、そういえば「万葉集」って本には色んな歌が載っているんだよなって思い出しました。
最近、「ちはやふる」という百人一首を題材にしたアニメも見たばかりで、それが凄く面白かったのでさらに興味が沸いてしまいました!
万葉歌碑の向かいにある木。
凄く綺麗で、つい撮ってしまいましたw
今回の記事は、凄く長くなってしまったので、この記事では「万葉歌碑」までで終了です。
この後行く場所は、「後編」の記事で紹介しますので、お時間ある方は下のボタンから後編の記事へどうぞ!